嗚呼~カープよ 古葉監督!
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「古葉竹識」元広島東洋カープ監督・・・
残念!お亡くなりになりました。
僕が小学生低学年の頃、プロ野球ではあの川上巨人が9連覇しておりました。「巨人、大鵬、卵焼き」の時代であります!
周りの友達もみんなジャイアンツファンばかりで、せめて日本一にはと日本シリーズで西鉄を応援しておりました!(西鉄ファンではないんですよ アンチ巨人なんです!)
そんな頃からの広島ファンです・・・
「広島はいつも最下位、巨人を優勝させる為にあるんかい!」なんて言われ続けた1975年 日本で初めてメジャーリーグからの監督として「ルーツ氏」を招いたのですが、ペナントレースが始まってすぐの4月下旬 左上の画像で分かる様に審判と衝突して、現場に介入した球団代表に不満を抱いてアメリカに帰っちゃいました!
当時のカープは「負け犬根性丸だし」だったらしく「これじゃダメだ!」とばかり意識改革の一環として帽子を”情熱の赤”に変えたのは他ならぬ「ルーツ監督」だったんですよ!
「赤ヘル軍団」誕生です!
そしてその後を引継いだのが「古葉竹識監督」でした!
結果、10月5日あの憎き巨人との最終戦(巨人ファンの人 ゴメンなさい、ローカル球団好きのたわごとですので・・・)4対0で初めてのリーグ優勝であります!(長嶋監督1年目で最下位!)
古葉監督はいつも柱の陰で試合を見ておりました。
(ここが一番すべてが見える所なんだそうです)
実を言いますと(隠す事ではないけど)僕はこの試合、兄貴と一緒に観に行ったんです後楽園に!
座った場所は当然三塁側外野!
「今日勝てばリーグ優勝!」地元広島から私設応援団の方々も来ておりまして「宮島のしゃもじ」をいただき、これをパンパン叩きながら応援した次第であります!
家に帰ってからこの日を記念して書いた「しゃもじ」が右画像のものですが「広島対巨人」じゃなく「巨人対広島」です(お詫びして訂正いたします・・・どうでもいいか)。 今では「家宝」であります!
左画像の方、だ~れも知らないと思いますが、カープファンの中では知る人ぞ知る「佐々木久子氏」であります!
このおばさん”広島東洋カープ”創設時から一筋の根っからのカープファン!(当時随分励まされました!)
「広島東洋カープを優勝させる会」もつくり、どんなにこの日が来るのが待ちどうしかった事か、嬉しかった事か!
その後はカープも強くなりましたが”日本一”は遠かった!
1979年、遂にこの日がやって来ましたが『江夏の21球』
後々語り継がれる物凄い試合があったのです!
近鉄との”日本シリーズ最終戦”9回裏、7回ツーアウトからリリーフに入った江夏がまさかの乱調!ノーアウト満塁の窮地に陥りました!
この時 古葉監督はブルペンに池谷と北別府投手を向かわせましが、これに気付いた江夏は「俺と心中じゃないのか!」と憤ったそうですが、それを察した”鉄人”衣笠が「オマエに何かあったらオレも一緒にユニフォームを脱ぐから!」ってマウンドで声を掛け、この言葉で冷静を取戻した江夏は見事この回0点で抑え、初めての”日本一”になったのであります!
古葉さん、弱小チームをよくぞここまで強くしてくださった!
今のカープがあるのは貴方のお蔭です!
メジャーに行く選手が次から次へと・・・
安らかにおやすみ下さい!
ありがとうございました!